メキシコからこんにちは。
薫です。
旅行2日目は、マヤ遺跡の観光へ行きました。
まず、Uxmal(ウシュマル)とKabah(カバー)へ行ってきました。
UxmalもKabahも20年近く前に行った時よりもきれいに整備されておりました。
Uxmalだけは、まだ登れる建物もあり、遺跡をより身近に感じられました。
高台からよくよく見ると公開されているところ以外にもまだ建造物がジャングルの中に埋まっていました。
どんな文化が実際には発展したのか、いろいろ考えて、タイムマシーンがほしくなりました。(笑)
さて、2日目はホテルで、マッサージを予約していたので、午後4時には、Kabahを出ました。
ただ、ユカタン半島の地図をもらった時から、ホテル近くの遺跡が気になっていました。名前はオシュキントック(Oxkintok)と言います。
知られていないし、看板はすべてさびているし、きっと大した遺跡ではないだろうと勘ぐって、行ってみると、途中で道が砂利道になるは、人の気もないは、草もボーボーで、戻るかどうか迷っていたらその先にぽつん。と大きな建造物が現れました。
さっと見て帰ろう。という結論になって車を降りたら、すぐにガイドのビクトルさんが出迎えてくれました。ガイドをつけるのは嫌いな私たちですが、こんなに寂れたところの巨大な遺跡ということで興味がそそられ、案内してもらうことにしました。
ユカタン半島からグアテマラまで続くPUUK山脈の始まりの地であり、その先端 にオシュキントックはあります。その広さは4km2にも及びます。
中米とも貿易があったことが発掘物からわかっているそうです。
あまり知られていないですが、チェチェンイッツアよりも、ウシュマルよりも古い遺跡でだそうです。さらに、マヤ遺跡の中でも、ここだけの稀な建造物があります。
その名は、迷路。マヤ民族によると死の世界への入り口と言われているところのようで、中からは30代の遺体が発掘されています。装飾品から高貴な人だったことがわかっているそうです。
1960年代から外国の考古学者たちが発掘に挑戦しながらも、「迷路」は死後の世界の入り口として恐れられ、マヤ民族が協力を拒否したことから失敗を繰り返してきました。
1990年代にスペイン王妃・ソフィア妃の出資援助でメキシコ人考古学者が発掘を行いましたが、石碑の解読途中に謎の死をとげ、中断されたそうです。それが2001年のことで、そこから発掘は行われていないそうです。
さて、遺跡への訪問は半分も見ないうちに閉場時間になり、退出しなくてはいけませんでした残念でした。
しかーし、ここから、ガイドのビクトルさんの強い押しで、勧められるがままにマヤ聖地の洞窟へ行くことに急になりました。
洞窟の場所は、遺跡から5分だというし、30分もあれば見れるとのことだったのですが、結局たどり着くまでに15分、全部見終わったのは、2時間ほど後でした。
洞窟に行くまでにも多くの未発掘の遺跡が埋れていました。
洞窟の場所は、残念ながら、よくわかりません。看板もなければ、道もなく。ただ荒野を走り、左折してから200mほどを走り、そこから蛇行したけもの道を10分ほど歩いたところにあります。さらには、公開されていない上、マヤ人の聖地であり、真っ暗な洞窟ですので、単独で行っては危険です。
とはいえ、ナショナルジオグラフィックがすでに、雑誌で掲載しておりますので、ご存知の方もいるかもしれません。
さて、真っ暗な洞窟の入り口で、ガイドのビクトルさんが聖地へ入る許可のお祈りを捧げてから入りました。
お祈りを聞いていると、「洞窟内に潜む悪霊や病からお守りください。」と、それを聞いてちょっとぎょっとしましたが、ここまで来たら帰るというのは失礼ですので、中に入ることに。
注意事項として、洞窟内のものには触らないこと、写真撮影も禁止でした。なので、入り口と出口の写真だけ公開します。
さて、なぜマヤ人の聖地だったかというと、お供え物が多数発見され、生贄と思われる人骨も発掘されたからです。
発掘されたというよりも、まだそこにありました。 しかし、頭は落とされていたようで、頭蓋骨は見つかっていないそうです。
その他にも及びますヤリや陶器の破片がたくさんありました。
そして最も印象的だったのが、壁画でした。端的なように一見、思えるのですが、十字架を半分にした記号で、日の出、日の入りの方向が描かれていました。なぜこれが重要かというとマヤ人は夜は、死後の世界の始まりなのだそうです。そして、四角の記号、これは、死後の入り口を表し、神のメッセンジャーであるハチドリとオウムも描かれていました。
私たち、内部に入ったものもその太陽の動きに合わせて、洞窟から出なくてはいけないとのことで、出口はこんな出かたになりました。
壁画のなかでも最高級に印象的で怖かったのが、色抜きで書かれた手の裏表でした。これは死後の世界への扉を開け閉めするのに使うと言われているそうです。
ガイドのビクトルさんは、絶対に触らないようにと3回ほど念を押してました。理由は、もしマヤの時計と手を触るタイミングが合ってしまうと、現代人ではコントロールできない現象が起きてしまう可能性があるとのことです。どんな現象なのか私には理解できませんでしたが、マヤ人であるガイドさんがあれだけ念を押すのだからきっと重要だと思います。
さらに、やはり超常現象も起こりかねないので、夜にこっそり戻ってきて物品を盗むようなことはしないようにと念を押されました。そんなこと言われなくても、洞窟の中の雰囲気だけで、とても自分たちだけでは戻るような気にはなりませんでしたが。。。。
マヤ人は、よく知られているように数字にとても長けていました。
現代の衛星を使用してのカレンダーの一年とマヤのカレンダーの誤差は、1年を計算すると1/2000秒だそうです。
そして、膨大なデーターをとっていたようで、今日が金曜日として雨が降ると、今度はいつの金曜日に雨が降るかということが瞬時に分かったそうです。本当であれば現代では想像できない技術が発展していたことになりますね。
さらに、動物と会話もできたようで、 ツバメや鹿などとも話をし、共存していたそうです。 驚くことに、臭覚に長けていて、空気の匂いで、どの方面から雨が降ってくるかを嗅ぎ分けれたそうです。
一連のツアーの後、ホテル近くまでは、今度はガイドさんの奥さんが私たちの車に乗って道案内をしてくださいました。
スペイン語が母国語ではないのがよくわかる話し方でしたが、マヤ文化の知識はすごく多い上、語彙力が豊富で驚きました。
こんな感じで、全然期待していなかった素晴らしい経験をさせてもらい、満足満足で2日目を終えました。
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